『悪友 東京』を読んで
以下キモ長い自分語りです。
劇団雌猫さんの『悪友 vol.3 東京』が関西の自宅に届いた日、入れちがいで東京にいた。
ライブとフジリュー会が目的だったが、前夜の覇穹1話感想やとらのあなの封神文庫キャンペーン情報収集でずっとTwitterを見ていてひさびさの上京の実感はまったくなく、自分が生きているのは関西とか東京とかではなくTwitterだと再認識した。
池袋、下北沢、新宿、横浜と大移動だったが、東京の西側にはあまり土地勘がなく、スマホにかじりついていたからよけいにだった。
自分にとって東京とは何か。
思い出すのはひとり暮らしの家を引き払って関西にもどるとき、車窓からスカイツリーを眺めながら泣いたことだ。
東京でずっと暮らすつもりはなかった。
東京は人が多くて広くて、生活するには不便だ。
泣いたのは、東京との別れではなく、楽しくて仕方なかったひとり暮らしの終わりを想ってだ。
仕事で遅くなっても、徹夜になっても家族を気にしなくていい。
毎日炒飯だろうがコンビニだろうが自分で選んでいるから受け入れられる。
嫌いなものはそもそも出てこない。
洗濯がたまるのも家が汚いのも、しんどければ自分のケアを優先していい。
それでいて深夜アニメをリアルタイムでみてずっとTwitter実況することもできる。
好きな時間に寝て好きなときに入浴できる。
そのどれもに人との調整が不要。
「あんたにひとり暮らしは向いてない」と親に呪いをかけられていたし、自分でも積極的にしたいと思っていないつもりだったけど、やってみたらひとり暮らしは最高に楽しかった。
そしてその東京の東側のひとり暮らしではわりと常にスカイツリーがみえた。
最初の家の前の道からも、2軒目の家のベランダからも、通勤途中にも見えたし、休日はよく錦糸町とソラマチに行った。
急に上京が決まったのは開業まもないころで、家探しの合間にアサヒビール上層階のカフェラウンジから見下ろした行列には、テレビのなかの出来事だった東京を実感した。
冬の早朝にのぼり、空気がすんで富士山がよく見えたのはきれいだった。
のぼったのはその1回だけだが、紛れもなくスカイツリーは自分の東京生活の象徴だった。
関西に戻ってひとり暮らしではなくなり、大阪帝国の便利な都会ぶりと可処分所得の増加に安心している。
お金に心配がなければ、東京はちょくちょく行くところでいい。
と思っていたけれど、人生で一番大事にしている封神演義に祭りが起こったら一概に言えなくて、たぶんふつうに見たら30分程度の集英社ロビーの無料展示に往復6時間、3万円かけて行くかはまだ悩んでいる。
文庫セットとリミックス程度なら心置きなく積めるとはいえ最大の課金先はJR東海である今の生活と、駅のサイネージも大ポスターもコラボショップも全制覇できても円盤セットの定価におののく東京ひとり暮らしとどっちも悩みはつきない。
とりあえずジャンプ展前期後期と秋のイベントと、万が一コラボカフェ(仮)が東京のみだったらそれはぜんぶ行くかんな、東京。